もっと味わう北海道 旅行の前に

せっかく旅行に出かけるなら、ガイドブックに書かれたことだけで下調べを終えてしまうのははもったいないです。いまどきのオンライン旅行も本をひもとけば、何倍も楽します。旅先をもっと深堀りして、たっぷり味わえるキーワードや本をご紹介します。

Go To キャンペーンで涼やかな北海道へ

新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、実質、海外旅行へは行けない今日、Go To トラベルキャンペーンが始まったこともあり、国内旅行に行きたいなと考えている方も多いでしょう。

今年は梅雨明けが遅いですが、もうすぐ、北海道の旅行シーズンです。いま、北海道を旅行するなら、知っておきたいキーワードをご紹介しましょう。もちろん、オンライン旅行のためにも、ぜひどうぞ。

お出かけの前には、新しい旅のエチケット(日本旅行業協会)をお忘れなきように。

世界遺産候補の「奄美・沖縄」と「北海道・北東北」

日本には2020年7月現在、19件の世界文化遺産が登録されています。それに対して、自然遺産は、1993年に登録された白神山地と屋久島、2005年に登録された知床、そして2011年に登録された小笠原諸島の4件のみとなります。

奄美大島のマングローブ林

日本政府は、今年、新たな世界「自然」遺産の登録を目指し、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」を選定し、ユネスコに推薦書を提出しました。そして6月には中国で行われる世界遺産委員会で、その登録の可否が検討される予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止から委員会そのものの開催が見送られてしまい、自然遺産の登録はまたもお預けとなりました。

またも、というのは、今回の登録申請は2017年に続いて2度目のことだからです。この事情は、次回の奄美編でふれたく思います。

2018年にはもう1件、北海道と北東北の世界文化遺産の候補が挙げられていました。しかし2020年の登録から、世界遺産の推薦枠が1国1枠と制限されるようになり、「奄美、沖縄」と競合した結果、「自然遺産の候補案件は優先的に審査対象にされる」との菅官房長官の会見発表があり(18年11月2日)、北海道と東北の文化遺産登録の申請は見送られ、翌月、2021年の推薦が決定しました。

北海道 本 and「縄文」

さて、北海道と北東北が共同で世界遺産登録を目指すのが、「縄文遺跡群」です。

北海道といえば、ご紹介した世界自然遺産に登録されている知床をはじめ、雄大な自然景観との出会いが旅行の目的に挙がりますが、「縄文遺跡」「縄文時代」にもぜひご注目いただきたいのです。

順調に進めば、来年に日本の新たな世界遺産として北海道の縄文遺跡群が登録されるかもしれません。先取りして、「縄文」をキーワードに北海道旅行を楽しむのも一興です。

縄文ブームはいかにして起きたのか?

なぜ、北海道と北東北の縄文遺跡が世界遺産候補に? という理由の背景には、2018年に話題になった「縄文ブーム」も大きく影響しているでしょう。

2018年7月3日から9月2日まで東京国立博物館で開催された特別展「縄文ー1万年の美 の鼓動」は35万人を超える来場者を集め、これに合わせて縄文関連本も出版され、グッズも多数販売されました。

平成最後の世に降って湧いたような縄文ブームは、いかにして起きたのでしょうか。

縄文展を企画した東京国立博物館の品川欣也(よしや)考古室長はこう答えています。

品川氏も縄文展のヒットの理由として、「縄文が『かわいい』や『面白い』といった視点で紹介されることでより身近な存在となり、全国各地に縄文時代の遺跡があるという間口の広さも重なり、多くの方に関心をもっていただけたのだと考えています」と分析する。

日経『縄文時代にはまる人が続々 ブームの仕掛け人に聞いた』

また、上の記事にも登場する『はじめての土偶』(世界文化社)の著者で、「元祖縄文女子」と紹介される譽田亜紀子さんは、東洋経済ONLINEのなかで、こうお書きになっています。

土偶を観ていて思うことがある。作り手は、心の中に浮かんだイメージを純粋に具現化させたんだな、と。現代人には奇抜に見える造形も、彼らにとってはそれしかないのである。そこには「周りに良く思われたい。認められたい」という気持ちが入る隙がない。だから、私たちは心をつかまれる。

東洋経済ONLINE『空前の「縄文ブーム」背後にある日本人の憂鬱』

土偶などの造形をおもしろがる日本人の心性が、縄文人から受け継がれていることもあるのかもしれません。ゆるキャラをもてはやすような特質が、日本人にはありますから。

ただ実のところ、縄文時代は謎がまだまだ多く、わからないことも多くありますので、そこは押さえておきたいところ。先史学の研究者で、国立歴史民俗博物館の山田康弘教授は安易な縄文理解が広がることを危惧しています。

縄文に親しみを感じ、またそれで「遊ぶ」のはよい。そのような文化財の利用法があっても、縄文に対する理解と遺跡・遺物の保護・活用が進むのであれば、私は問題ないと考えている。
しかし、表層的な消費に終始し、様々な思惑の結果作り出された間違った縄文時代像がそのまま流布し、さらに様々な形で商売や政治的に利用される事態にいたっては、研究者として、教育者として、やはり一言釘を刺しておかねばならないだろう。

講談社『基礎知識があれば、縄文時代はこんなに楽しくなる』

北海道と北東北が縄文遺跡の世界遺産候補のなぜ?

縄文時代中期初頭のカッパ型土偶「みさかっぱ」(山梨・春日居郷土館)

縄文展の人気の理由のひとつとして、間口が広いという縄文展の企画者のことばをご紹介したとおり、縄文遺跡は日本各地で発見されており、全国で9万もの遺跡を数えます。なかでも北海道は6857件(文化庁、平成24年)と全国2位の多さ。最も多いのは、岩手の7501件で、3位に5882件の長野、4位に5279県の千葉と続きます。

北海道と岩手は、全国1、2を占めるほどの縄文遺跡が存在しているのは確かですが、他県でも縄文遺跡は多数見られることがわかります。

なぜ、縄文遺跡という物件で、北海道と北東北が世界遺産の候補に挙がったのでしょう?

実は、世界遺産の候補に挙がるまで、2014年時点で2回落選していたそうで、それはなぜ北海道と北東北に地域をかぎるのか、という素朴な疑問に答えられなかったから、といいます。北海道・北東北縄文遺跡群は世界遺産登録でなぜ2回も予選落ちしたのか

候補入りを果たしたのは、それを克服したゆえのことなのでしょう。北海道に存在する縄文貝塚の5分の1の面積を占める巨大貝塚「北黄金貝塚」を擁する伊達市のホームページには、その疑問に対して、このように答えています。

しかし、日本列島の中でも、特に北海道と北東北地域には縄文時代の遺跡が集中し、かつ学術的な価値と保存状態の良好さが評価された特別史跡と国指定史跡が数多くあります。これらは津軽海峡を挟みながらも縄文時代を通じて共通の文化圏であり、その範囲の広さと継続期間の長さは他の地域とは比べようがありません。しかも、各遺跡は、集落(ムラ)・貝塚・墓・祭祀場(記念物)などの縄文文化を語るうえで必要な要素がすべてそろっていて、これらの遺跡の組み合わせによって縄文文化の価値を十分に説明できるのです。
私たちは、日本列島全体の縄文遺跡の価値を世界に広めるために、まず条件の整っている北海道と北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産になることを目指しています。

伊達市教育委員会「北黄金貝塚を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界文化遺産へ!」

また、北海道と北東北の縄文遺跡群のなかには、日本最大級の縄文集落遺跡、青森県の三内丸山遺跡が含まれていることもその価値を高める一端になっているでしょうし、北海道が、「縄文の大地」と呼ばれるに足る、もうひとつ特徴的な歴史があるのです。

北海道に弥生時代はなかった!?

縄文の名は、お雇い外国人のモース博士によって発見された大森貝塚から出土した土器に由来することは、ご存じでしょう。また、1884年には東京向丘の弥生町で、縄の文様のない土器が発見され、これが弥生式土器と呼ばれるようになりました。

弥生式土器は各地で見つかり、弥生時代が縄文時代のあとに続いたとされます。これが全国共通の日本史と思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、同じ日本でも、北海道(と沖縄)では、弥生式土器はほとんど見つかっておらず、北海道には弥生時代はなかったと考えられているのです。

弥生時代の特徴といえば、稲作が挙げられますが、寒冷地帯の北海道では、当時の稲は育たなかったのがその理由のひとつ。もうひとつは、食生活の違いがあっただろうといわれています。本州の人はドングリをメジャーフードのひとつにしていました。彼らからすれば、米というのはかなり魅力的な作物に映ったでしょう。

他方、北海道の人たちは海で捕れる魚や貝、森で捕れる山菜を食べ、肉食の文化が発展していました。食が豊かで、当時の北海道の縄文人は米に魅力を感じなかったのではないかと。北海道では弥生時代に移ることなく、「続」縄文時代が続いていったのです。

世界遺産の登録候補に挙げられているのは、北東北とつながりのある北海道西部の縄文遺跡ですが、縄文文化ゆかりの史跡や展示をしている博物館は北海道各地に見られますので、旅行に組み込むと、旅のアクセントになるに違いありません。

アイヌを知る民族共生象徴空間「ウポポイ」がオープン

北海道を知るキーワードとして、「アイヌ」もまた外せません。

近年、『週刊ヤングジャンプ』連載の『ゴールデンカムイ』がアニメ化されたり、手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞したりして、アイヌ文化がフューチャーされ、目にされた方も多いかもしれません。

また、新型コロナウイルス感染症拡大防止のためにオープンが遅れていた胆振いぶり地方白老しらおい町の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」が、7月12日に開館しました。これは、アイヌ文化の振興、発展のために建設され、国立アイヌ民族博物館や国立民族共生公園などの施設から成ります。

オープン間もないこともあり、連日賑わっているようで、何よりです。しかし、ハコモノの建設はひとつのキッカケにはなりますが、大事なのは、ソフトであり、そのソフトを通して伝えられるコトであるので、目的のとおり、アイヌ文化を普及するナショナルセンターとして機能し、北海道の新名所として多くの来場者に支持されるものになればと思います。

アイヌ文化については、わたしもまた本から学び、旅行に出かけて調べて、いつかご紹介したいと思っています。アイヌと植物のこと、アイヌの食事のことなど、興味がわきます。また、北海道の地名は、8割ほどアイヌ語由来とあり、それにふれた書籍がいくつもありますので、北海道のドライブ旅行のお供にもいいかもしれません。

北海道 本 and「オホーツク人」

北海道にアイヌが暮らしていたのは、ご存じと思いますが、では彼らはいったいどこからやってきたのでしょう? 

本州のいわゆる和人と呼ばれる人々は、縄文人と弥生人の混血といわれます。東京でサンプルを取った本州の人のDNAを解析したところ、およそ10パーセント、縄文人と同じゲノムを持っていたそうです。それに対して、北海道のアイヌの人たちは70パーセントもの縄文人と同じゲノムを受け継いでいるそうです。(日経「縄文人の起源、2~4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 」

すなわち、アイヌ人は縄文人にルーツを持っているといえます。

しかしそれだけではなく、これが、もうひとつのキーワードになりますが、「オホーツク人」と同じDNAをアイヌ人は有していたのでした。

1913年に網走のモヨロ貝塚で、竪穴式の住居跡や多数の土器、石器、骨格器などが出土しました。そのときに一緒に人骨も多数発見されました。これを調べたところ、縄文人のものでも、アイヌ人のものでもありませんでした。

その後、研究が続けられ、アラスカやアリューシャン列島に暮らすアリュート人のものとか、エスキモーに近いとか、様々な説が出されましたが、この骨の持ち主は、「オホーツク人」と名づけられました。

北海道ではこのオホーツク人によるオホーツク文化という時代が年表に刻まれることになったのです。これが、およそ5世紀から9世紀にかけて続きました。さらにその先、北海道では続縄文文化と本州東北の影響を受けた擦文さつもん文化」が12世紀まで続きます。段階的に、続縄文、オホーツク、擦文(そしてアイヌ)と続いていくのではなく、それぞれの文化が同時期に重なり合っていたと考えられています。

続縄文時代と擦文時代をつないだオホーツク人。彼らはその後、消えた、いなくなったといわれ、長らく謎の民族とされてきました。それが2009年、北大の研究グループがオホーツク人の骨のDNA解析をしたところ、ロシアと中国の国境を成すアムール川流域に居住している少数民族ニヴフのものに近いことがわかりました。

ニヴフの女性の民族衣装

ニヴフというのはギリヤークとも称されます。

ギリヤークは文学好きなら耳にしたことがおありかもしれません。チェーホフの作品で、ルポルタージュの先駆けともいわれる『サハリン島』に言及されています。これをふまえてでしょうが、大江健三郎が『幸福な若いギリアク人』という小説を書き、村上春樹が『IQ84』で『サハリン島』を引用し、「気の毒なギリヤーク人」と紹介しています。

このギリヤークの文学つながりは、昨年礼文島を訪ねる前、旅の予習をしているときに見つけて、ちょっとした興奮を覚えたものです。

それから一年近く、今春東京大学を退かれた、ロシア・東欧文学者の沼野充義さんがコロナ禍のなか、最終(最新)講義をYouTubeで行うという新しい試みをされたというニュースを耳にしました。そのタイトルが「チェーホフとサハリンの美しいニヴフ人 —村上春樹、大江健三郎からサンギまで」。〝世界〟を探っていると、どこで何とつながるかは、わかりません。こんなシンクロ体験ができるのも、旅の予習ならではといえるでしょうか。

沼野先生の最終(最新)講義は、今もYouTubeで無料視聴できます。北海道やオホーツク人のことは登場しませんが、ニヴフ人の作家サンギに画面を通して会うことができ、村上春樹ファンの方なら、楽しめること請け合いの講義です。講義は1時間半ほどです。リンクを貼っておきますので、時間のあるときにご覧になってはいかかでしょう。

オホーツク人は消えていなかった!?

話を戻しますが、オホーツク人の骨から、このニヴフや同じく少数民族のウリチが持っているのと同じ遺伝子が見つかり、またカムチャツカ半島に暮らすコリャーク人などとのつながりも見られました。そして、これらの遺伝子がアイヌにも見られたのです。

まずオホーツク人と続縄文人、擦文人とが通婚関係にあって、続縄文人と察文人の流れを汲むアイヌ人にも、オホーツク人の遺伝的要素が伝わったと考えられます。消えたといわれていたオホーツク人は、消えてはいなくて、アイヌに引き継がれていたのです。

それは遺伝子というだけでなく、文化面でもそうです。アイヌには「クマ送り」という儀式が知られますが、それもオホーツク人から伝わったといわれます。そして、アイヌもひととおりの人種がいたということではなく、続縄文、擦文、オホーツクの組み合わせで、多様性があったと考えられています。

礼文島出土の歯牙製女性像及び動物像(礼文町郷土資料館)

オホーツク人については、「北海道大学総合博物館」や稚内近くの「オホーツクミュージアムえさし」、網走の「北方民族博物館」などで展示があるほか、礼文島の郷土資料館でも、オホーツク人が作ったとされるマッコウクジラの歯牙を素材にした女性像やクマの象が見られます。完全な形で残されたこの女性像は道内唯一のものといい、その造形を通して彼らの精神文化にふれられる貴重な機会になります。

北海道と縄文、アイヌ、またオホーツク人について興味をもたれた方は、関連書がいくつか出版されていますので、旅の予習に、ぜひお手にとってみてください。あなたの北海道を見る目が変わり、北海道旅行がぐっと深くなります。

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