マラッカ海峡物語 ペナン島に見る多民族共生の歴史ーはしがき8

本によって旅が広がり、深くなっていく、そんな経験を自身のマレーシア旅行を通して綴っています。これまで、ペナン島やバンコクなどの「華人」をご紹介してきましたが、第8回目は、ペナン島の「アルメニア人」についてご紹介します。

旅行中のペナン島の見方が変わる『マラッカ海峡物語』

「はしがき5」でふれましたが、ペナン島の旅より帰国後、出会ったのが、前回、前々回とご紹介した『バンコク謎解き華人廟めぐり』ともう一冊、『マラッカ海峡物語–ペナン島に見る多民族共生の歴史』(著・重松伸司 / 集英社新書)でした。

ペナン島への旅に出る前にこの新書が出版されていたら、旅行中のペナンの見方、注目点が変わっていたに違いありません。専門書を除いて、ほかにペナン島の歴史について詳しく紹介した書籍はおそらくなく、こちらもユニークな一冊なのです。

ざっと目次はこのとおり。

第Ⅰ部 海峡の植民地ペナン
序章 海峡を掘り起こす
第1章 租界・居留地・ジョージタウン
第2章 海峡とモンスーン
第3章 海民と開拓者
第4章 居留地ジョージタウン誕生
第5章 居留地ペナンの誕生

第Ⅱ部 海峡渡ってきた人々
第6章 変貌するペナン
第7章 シントラ、ポルトガル人街から日本人街へ
第8章 マラッカ海峡のアルメニア社会
第8章 華人街の頭目
第10章 ベンガル湾を渡ったインド人

地理に始まり、第2章には、モンスーンによる海流や風によって、インド西岸とマラッカ海峡が結ばれていたことが説かれています。なるほど、こうして海の道が通じていて、インド商人らとペナン島が結ばれていたのだとわかります。

端折っていますが、こんなふうに季節によってモンスーンの向きが変わり、船は港で風待ちをしながら、インドとマレー半島間で交易が行われていました。最新の研究では、古くは2世紀に遡るというのですから驚きです

大航海時代には、華人やインド人だけでなく、この道を通じてヨーロッパの海商たちもペナン島やってきたのでした。

離散の民、アルメニア人

「はしがき3」でふれたアルメニア人も、そのヨーロッパの海商の一民族でした。

アルメニアはコーカサス山脈の麓、ジョージアやアゼルバイジャンと隣接する国です。第二次世界大戦後はソ連邦の一員であり、ソ連崩壊後に独立しました。ユダヤ人と同じくディアスポラ(離散)の民として知られ、オスマン帝国下の1915年に始まったアルメニア人大虐殺では、150万人以上ともいわれる人々が殺害され、多くのアルメニア人が近隣諸国に難民として逃れました。その歴史は、周囲の大国に脅かされ、領有されることの繰り返しです。

現在トルコにある世界遺産「アニ遺跡」は、10世紀から11世紀に栄えたアルメニア王国バグラトゥニ朝の都でした。トルコ東部を巡るパッケージツアーでは、コンマゲネ王朝の史跡が残るネムルート山とともに見どころのひとつになっています。

トルコの世界遺産アニ遺跡 広大な敷地に当時の栄華を偲ばせる教会跡などが残されています  ©Sara Yeomans

このバグラトゥニ朝がビザンティン帝国によって滅ぼされたときにも、アルメニア人は離散し、各地にコミュニティを作りました。そしてこれらをつないで、商業網を築いていったのです。

ペナン島にやってきたアルメニア人

ペルシャに移ったアルメニア人の一部は、サファヴィー朝(1501~1736)の下、さらにその都イスファハンから海商としてインド洋へ進出しました。

イスファハンのアルメニア人居住区に立つヴァンク教会。
イスラム教とキリスト教の様式美が融合した美しい教会と紹介されます  ©Diego Delso

『マラッカ海峡物語』によれば、18世紀以降、東インド会社との協約により、アルメニア人海商はそれを後ろ盾にして、南アジアにおいて随伴的な交易を行ったとあります。この一連のnoteにペナン島旧市街ジョージタウンにある、アルメニア通りについて何度かご紹介していますが、もうひとつ、ジョージタウンにあるアルメニア人にちなんだアルトゥーン通りとともに、「アルメニア人の定住した明確な形跡はない」とのことです。

アルメニア人が長期にわたってペナンに定住することはあまりなく、インド〜ペナン間を数年間隔で往来する巡回交易を行っていた。(中略)

アジアのアルメニア人コミュニティには華僑ともインド系移民とも異なる点が見られる。
華僑は移住先の各地に同族・同郷の公祠や寺院を建立し、華人街に集住する。インド系の移民は定住地にヒンドゥーの神々やイスラームの聖者を祀り、その周辺にインド人街を生み出す。アルメニア人は移住地に教会と学校をつくり、港町にホテルを創業する事例が多く見られる。

「E&O」で見かけたサーキーズ兄弟の写真

わたしがマレーシア・ペナン島で宿泊した「E&O(イースタン・アンド・オリエンタル・ホテル)」は、シンガポールの名宿、「ラッフルズ」の創建者と同じ、アルメニア人のサーキーズ兄弟が経営していたホテルです。彼らは、イランのイスファハン出身。

ペナン島を代表するホテル「E&O」旧館

先の『マラッカ海峡物語』の一節を読み、ジョージタウンで華人廟やモスクが目についたこと、またペナン島やシンガポール、ミャンマー・ヤンゴン(近郊)に、サーキーズ兄弟のホテルが建設されたことに合点がいったのでした。

アルメニアとトルコへいざなう手引き書

アララト山は、ノアの方舟が漂着したという伝説がある山。現在はトルコ領ですが、アルメニア人にとっては、日本の富士山のようなシンボル的存在です。『アララト山 方舟伝説と僕』は、オランダ人の著者が、そのアララト山山頂を目指すノンフィクションです。以下、訳者あとがきより。

アルメニア人がアララト山に抱く限りない憧憬の念にもかかわらず、彼らはその山に足を踏み入れることを許されていないという現代政治の過酷さとその背景にある過去も、トルコの現状と合わせて、フランクには驚きの発見だった。ヨーロッパ語圏内でつとに「時空を超え、既存のジャンルを超えて自在に浮遊する旅人」として知られる著者の本領がここでもまた存分に発揮されている。これは旅行記であり、登山記録である。同時にまた自伝的なノンフィクション読み物、科学啓蒙書、歴史書でもあり、現代トルコとアルメニアへの手引書でもある。

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